都電の思い出

私の父は転勤族だったので、社宅生活が長かった。小学校4年の時、住んでいた文京区小日向の社宅の取り壊しが決定し、豊島区北大塚の社宅に引っ越したのだが、転勤が近いことが予想されたので、都電16番線の大塚〜茗荷谷間を利用して転校せずに通学を続けた。都電の路線名は番号で呼ばれ、現在大塚を走る都電荒川線は当時32番線と呼ばれていた。16番線には上野広小路行き、厩橋行き、錦糸町行きがあったと記憶するが、その行き先表示板でそれぞれの地名が読めるようになった(笑)。

当時、都電軌道内は一般車通行可だったので、もろに渋滞の影響を受けるが、それでも遅刻した記憶はない。運転手と車掌の二人体制で運行され、運賃は大人20円、子供10円だったような。ドアの開閉は車掌がレバーを操作するのだが、それは確か脱着式で乗務する車掌が持ち歩いていた。また車両型式によってレバーの大きさも違っていた。ある日、車掌が私にその開閉レバーを操作させてくれて、ものすごく感動したことを覚えている。厳密には服務規程違反か?(笑)。

そんなおおらかな日も長続きせず、都電は続々廃止の憂き目にあい、ついに16番線も廃止の日を迎え、ワンマンの都バスに取って代わられた。

そんな思い出を甦らせる、都電軌道跡が江戸川区一之江にあると知り、訪れてみた。


境川親水公園の一角にひっそりとそれはあった。とても短いものである。


傍らの説明板。この路線は元々は私鉄だったそうで。


鉄橋の様相を呈しているが、そもそもの場所からは移設されているらしい。


錆びに覆われた線路が年月を物語る。

花電車が走る16番線廃止の日、大塚駅から一駅目の大塚車庫では何某かのセレモニーがあったのか、私は一人で行ってみた。その時いただいた(かっぱらったのではない)木札が奇跡的にも実家に残っていた。


上部の穴にはカギ形の針金が付いていて、それで車両の鼻先にぶら下げるものである。この文字が何を意味するかは今以て謎である。


こちらは裏面。表に比べていかにも即席の手書き風である。読んで字の如し、こういうメンテナンスが日常的に行われていた、のどかな時代だったのだ。

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