徒然草子−エトセトラな日々−

最新のものほど上にあります。一部ネットで書き込んだものと重複する内容があります(転載はしていません)。

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この続きは道楽日記Woody Metalに掲載します。

2005.2.16
いつの頃からか、エスカレーターの片側を歩いて登る人用に空けるのが一般化(あえて常識化とは言わない)した。東京は右だけど、大阪は左だなんて、どうでもいいことも話題になった。確か、以前は構内のアナウンスでも「お急ぎの方の為に○側をお空けください」みたいなことを言っていたと思う。
だがこれ、ちょっとおかしいのではないか。そもそもエスカレーターの導入は急ぐ人の為ではなかったはずだ。階段を登ることに、何らかの理由で不便を感じる人の為の設備であって、そもそも歩いて登ることを想定していなかったはず。それが証拠に、エスカレーターの段差は階段以上あるではないか。ところが今や、空けることになっている側で立っていると罵倒され、空けないでいい側に立っていても、登る人と腕や肩が接触して不愉快ですらである。エスカレーターを歩いて登った人のほとんどが、降りてからは悠然と歩いていて、走りだすのを見たこともない。つまり、本当に急いでいる人なんてごくごくごくわずかしかいないし、本当に急いでいるのだったら階段をかけのぼった方がよっぽど早い。
片側を空けるが為に、不必要に伸びるエスカレーター利用者の列。その向こうにある階段を使いたくて、列を横切らなければならないのがこれまた不快。まるで階段利用者が悪いような視線さえ感じる。階段利用者に言わせれば、エスカレーター待ちの列の方がよっぽど邪魔なのだ。そろそろ、エスカレーターをエスカレーターとして利用することに戻してみては如何だろう。

2004.1.3
2003年は、私にとっては楽しみな映画の続編が目白押しであった。それらが全て年内にDVDで発売されるとはありがたい時代になったものである。しかし、2匹目のドジョウはなかなかいないようである。
「マトリックス リローデッド」救世主なら何でもありかもしれないが、全作と違ってネオが空を飛んだり怪我を治してしまったりすると、何があっても絶対助かると思えてしまい、緊張感がなくなってしまう。トリニティは歳をとってしまった、仕方ないけど。でも、キャデラックはかっこよく見える(笑)。
「ターミネーター3」シュワルツェネッガーも歳をとった。続編はあまり間隔をあけずに作った方がよさそう。パロディの味付けは逆効果、洒落てると思わせる雰囲気にとどめるべき。敵ターミネーターの印象がなぜか薄い。ヒロインがあまり美人じゃない(笑)。
「バトルロワイヤル2」続編を作るのが一番難しかったと思うが、その難しさしか伝わらなかった。中学生が戦争をするという展開に、さほど悲惨さを感じないのはなぜか。それは戦争自体は犯罪と認識されない行為であり、殺人でありながら非日常性も道徳的逸脱も薄れているからであろう。全作の、単純な殺人を強制されるという異常性と比べると、どうしても受ける衝撃は劣ってしまう。また、バトルロワイヤルというゲーム自体は話半ばで終わってしまうのも、最後まで緊張感を持続させることはできなかった気がする。生徒一人一人が背負うものの描き方も明らかに不足で、ストーリーの奥行きを形成するに至っていない。
制作側の苦労はさぞかしと思うが、見る方は申し訳なくも好き勝手な感想を抱くものである。私とて例外ではない。予想外に面白かったのは「K−19」。

2003.12.31
「携帯電話とペットボトル」この二つが生活の中に違和感なくとけ込んで久しい気がするが、これらによって人間性を大きく変えられてしまったと感じないだろうか。人々は手に入れた利便性と引き替えに、確実に失ってしまったものがあると思うのである。
携帯電話は必ず相手につながると誤解している人のなんと多いことか。電波の届かない場合もあれば、バッテリー切れのときもあろうし、着信に気づかないことだってあるだろう。ややもすると、連絡がつかないことを非難されかねない。しかし、携帯電話のない時代はそれが当たり前だったではないか。緊急時に重宝する安心感は認めるが、連絡手段が安易に手に入ったが故に、連絡ができなくてもあきらめる、相手の事情を察する、連絡があるまで待つ、確実に連絡が取れる手段を講じる等のことを忘れてしまったのではないだろうか。
飲料を持ち歩くのは、登山だとか遠足だとか、補給に制約がある場合だったはずである。それが街中でもペットボトルを持ち歩き、ところかまわず飲んでいる。少々のどが渇いても我慢する、のどの渇きに備えて予め水分を補給する、飲食する場所をわきまえる等のことは忘れ去られていないだろうか。
「携帯電話とペットボトル」によって、人間は我慢、忍耐、辛抱、思いやり、準備、計画に対して無頓着になった気がして仕方がない。そして、運転のみならず「ながら」の携帯電話使用が危険であることも路上喫煙並みであり、規制すべきだと思うのだが。
人前で一心不乱に携帯電話を操作する姿を見て、異様に感じるのは私だけであろうか。私はたかが携帯電話を命綱にするつもりはない。

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2003.5.12
世がラーメンブームであるのかどうかは定かでないが、相も変わらずラーメン人気が根強いのは間違いないところである。私も生来の麺好きであるが、ラーメンに限って言えば、学生時代に食べたラーメン二郎の味が基準になってしまい、「ラーメン好き」ではなく「ラーメン二郎好き」であった。夕方前には売り切れ次第終了のラーメン二郎は、卒業後は仕事を休みでもしない限り食べることはできず、久しく「二郎断ち」の状態が続いていた。近年「ラーメン二郎」の支店が出現したことにより、あの懐かしい味が手軽に食べられるようになったときは、感涙にむせびつつ味わったものである。
しかし、悲しいことに自分に変化が生じた。あの独特のこってりしたラーメン二郎を、スープまで残さず食べることが出来なくなったのである。ここに自分の衰え?を素直に認め、と同時に自分の好みのラーメンを探すこととした。永らく親しんだラーメン二郎の味を元に、条件は「とんこつ醤油系」「背脂入り」「太麺」である。ラーメン人気の勢いがあれば、さほど苦労せずとも好みの味は見つかるであろうと踏んでいたのである。ところが。
こってり風味のラーメンには事欠かないのであるが、どこも「細麺」なのである。これは甚だ疑問であり、はたまた味の基準が変わったのかとさえ思ってしまう。元来、スープとよく絡むために細麺を使うのだから、さっぱり系のラーメンが細麺ではなかったのか。スープも飲むなら同じであろうとの考えもあろうが、麺とスープの調和を無視するのであろうか。こってりスープが細麺に絡むをよしとするなら、私の味覚はそれからはずれてしまったとしか言えないが。
仕事場近辺のラーメン屋を巡っているが、「太麺」以外の条件を満たす店は数あれど、全てを満たした店はまだない。地域を限定していたら、私の願望が満たされることはないのかも知れない。それとも、もはや私の味覚が保守的になってしまったのだろうか。

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2002.9.1

って知ってますか?。茅ヶ崎あたりでは有名らしいのですが、そんなテレビ放送を見て以来気になって仕方なかったのです。伊那の方だったかローメンというのも気になりますが。
で、広東麺あたりが食感が似ているだろうと思ったのですが、昼食一食平均\500を目指す私には贅沢なメニューであります(苦笑)。悶々としていたそんな折に発見したのがこれです。

冷凍食品なので、インスタントものよりはしっかりしたお味。ただ、本物のサンマーメンを知らないので、これで満足していいものやら?。茅ヶ崎ではなく横浜だし。でも、確かに広東麺とは違いました。

しかし、決済性預金って何よ?。やると決めたペイオフが出来ないなら、いっそやめたら?。長野県知事選の結果や如何に?。

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2001.12.30
21世紀最初の年(という表現も実は好きではない、ただの一年と何ら変わりないのだから)も終わろうとしている。相変わらず中途半端な展開だったと思う。「痛みを伴う」なら徹底的であるべきだ。

0.001%が金利といえるだろうか。一億円で一千円である。そんな金利を誰があてにするだろうか。貸出金利ならまだ話は別だが。

ニューヨークのテロは衝撃だった。それでニューヨークの観光収入が激減しているらしい。もし、今私がニューヨーク観光するなら、WTCの崩壊跡を見たいと思うのが本音だが、そこまで割り切れるものだろうか。

一年のニュース回顧といって、児童虐殺事件を挙げるが、親族以外にとっては、ただの野次馬根性でしかないのではないか。

IT不況といわれて久しいが、パソコンが売れなくて不況なら、そんなに売れ続けるとほんとに思っていたのだろうか?。

デフレに突入といわれるが、消費者にとっては安いのがいいに決まっている。いいものは高くても売れる。本質を見極められないだけではないか。

自分も決して安泰な環境ではないが、既得権を剥奪されても納得できる展開はある(たとえ失業しても)。中途半端は納得できない。それを排除するのが「構造改革」ではないか。

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2001.8.14
玄関のガラスにヤモリがはりついていた。今時、ウチのような環境でもヤモリがいるとは、ちょっと驚きだった。家守と書くぐらいだから、縁起がいいと思うことにする。害虫を食べてくれるし。
配偶者に教えたら、ロゴ以外の実物は初めて見たそうな。イモリはタレントしか見たことないそうな(苦笑)。

歳が知れるが(笑)、2〜30年前の夏はこんなに暑くなかったと思う。当時の若さ故の体力を差し引いても、最高気温はせいぜい30度前後ではなかったろうか。エアコンなどの世話にならなくてもどうにかしのげたし、私の記憶以前の時代では(笑)、ビルの中でも窓を開けて扇風機を回していたはずだ、冷房装置そのものがなかったかも知れないが。オゾン層が破壊される前だから、日射病には気をつるものの(その為の帽子が私は嫌いであったが)、子供は夏休みには外で遊びまくり、日焼けの黒さを競っていたものである。それが今は、熱中症と紫外線を避けて外で遊ぶのは控えるとは、なんとも悲しい世の中である。

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2001.4.1
「バトルロワイアル」という小説を知っていますか?。
中学3年生の男女が、突然クラスメイトを殺して生き残ることを強制される話である。その設定の残虐さが注目を集め、映画化にあたってはR-15指定になって話題を呼んだ作品である。私はそのある種B級ともいえる評判に興味を抱き、読み始めた。残虐と評された描写以前に、ここまで非現実的で、超現実的で、かつ現実化の可能性を否定しきれない物語を書いた作者の才能に、まず感服した。しかし、読み進むうちに、読む前には予想だにしなかった感情を抱き始めた。
まず、この物語には残虐な描写と同じか、それ以上の登場人物の葛藤が描かれている。人間を信じることの可否、自分が生き残ることの可否を巡って全ての登場人物が悩み苦しんでいる。もしも自分が、たとえそんな境遇に置かれることはあり得ないとしても、そんな決断を迫られたらどうするか、知らず知らずのうちに考えていた。
次に、残虐な描写と一言で片づけられかねないその内容には、殺人、武器、血糊の描写とともに、痛みの描写が少なくない。これは私の想像だが、恐らく作者は銃で撃たれたことも、刃物で刺されたこともないだろう。しかし、多かれ少なかれ、人間の死には痛みが伴うはずである。死に至らずとも、人間はそもそも痛みを忌避する。現代に生きる人間は、あまりに「痛み」に鈍感になってはいないだろうか。
痛みとは、人間が肉体の危険を回避するために備えた本能である。戦うこと、殺しあうこと、それは死に至るまでの間は痛みとの戦いでもある。ある日私は、棚に頭をぶつけ、その痛みを感じたとき、この痛みを克服して肉体に次の行動を強いることが出来るかどうか、思わず考えてしまった。少なくとも実社会において、それを実践することはまずないのだが、痛みを感じたとき、人間はかくも弱き生き物になって当然のはずだ。
テレビゲームでは血しぶきはあがるが、敵キャラクターも自分も痛みの感覚は一切無い。映像作品においても殺人は視覚聴覚を刺激しても、肉体の感覚には及ばない。自分が感覚として覚えない限り、その感覚を相手の人間に想定することはまずないだろう。相手の痛み、苦しみを想定できないから、児童虐待をはじめとする現代の数々の悲劇が生まれるのではないだろうか。
この物語の根底には、人間が生きていく上で忘れてはならない感情に訴えるものが流れている。人間の、生の尊厳と、苦悩、苦痛の根元を見直す機会を与えてくれる、一読する価値のある作品であると断言したい。

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2000.11.14
「次回に続く」「洋食のコックさん」この二つの表現に違和感を感じるのは私だけだろうか。「前回に続く」ことはないし「和食のコックさん」とは言わないだろう。単なる揚げ足取りだろうか。
これも一例だが、我が国中央銀行の発表文の、なんとカタカナの多いことか。「コンティンジェンシープラン」といわなくても「危機管理計画」で十分ではないか。
日本語の乱れがいわれて久しいが、略語新語はまだ理解の余地がある、文化の一態様として。しかし、基本的な用法の誤りと、英単語のカタカナ表記濫用は受け入れがたい。誤用は日本語に対する冒涜であろう。技術用語を和訳せよとはいわないが、こうもカタカナを使いたがる風潮には何か日本語に劣等感があるのかとさえいぶかしんでしまう。
さらに、これらがマスコミによって公然と流布されているのは由々しき問題ではないだろうか。
某女優の成人した息子が覚醒剤使用で逮捕されたという。責任を感じたのかその女優は舞台を降板し、行なった記者会見ではやり玉に挙げられていたが、罵倒するマスコミに何の権利があるのだろうか。
某県知事が当選後初登庁したとき、官僚に名刺を渡したらその場でその名刺を折られたという。この官僚を弁護?するというテーマのテレビ番組があったので興味深く見ていたのだが、結局出演者が好き勝手なことを言うだけで終わってしまった。結果的に出演者の個性をネタに笑いをとっていただけのように感じられた。これが即ち制作者の意図であったといわれても仕方あるまい。「面白ければいい、視聴率が取れればそれでいい」と。
しかし、ここに恐ろしい事実が潜んでいると言えないだろうか。作り手の意図がどうであれ、マスコミからの情報は多大な影響力を持つ一方通行なのである。政治なら、実態はともかく制度として投票という受け手の意思表示ができるが、マスコミに対しては意思表示をする術がないではないか。情報をどのように得て、どのように流すかは全てマスコミの匙加減一つで決まってしまう。受け手たる我々は、送り込まれる情報を取捨選択する以外対抗手段がないが、否応なく目や耳に入ってくるものまでは排除できない。
表現の自由を制限したり、言論統制を支持するつもりはないが、今や大衆は情報の受け手としての質の向上を図って然るべき時代であるはずだ。

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2000.10.28
強行採決というものが国会で行われている。しかし、民主主義の原則で最後は多数決であることは最初からわかっている。与党が過半数なら可決されることもわかっている。審議を尽くすまで採決を拒否するとの野党の言い分はもっともに思えるが、審議を尽くして採決で寝返る与党議員が果たしているのだろうか。まあ、そもそも居眠りしている代議士先生もいらっしゃる国会本会議で、本当に審議しているのかも疑問であるが。政治というものは本当につかみ所がないものだとつくづく思う。

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2000.10.25
快女列伝
この記述に関しては賛同意見のみ受け付けますので悪しからず(笑)。

森高千里
私はこの女性を、「マネキンのような美しさ」と表現する。造形的に人為的とさえ感じさせるほど整った美しさ。自分で曲を手がけるところはアーティストとしての力量を感じる。天は二物を与えることもあるという好例。「私がオバサンになっても」という歌は詞も曲も私には永遠の名曲。「女盛りは19」という詞を最近のライブで「女盛りは29」と歌っていたのがいじらしい。そんなライブ映像を見ていると、思わず観衆と同じように体が動いてしまう。
完璧ですね、他の男と結婚してしまったこと意外は。

広末涼子
と〜っても人気があることは十分理解していたけど、全く興味の対象外でした、「秘密」という映画を見るまでは。母親の意識が乗り移った娘を演じるこの物語は、久々に泣けました。その演技で惚れました。そう、私惚れっぽいです。

保田圭
モーニング娘。のメンバー写真では端か最後列にいることが多い子です。ちょっと個性の強い顔立ちです。正直言って最初見たときはアイドル的な顔の印象はありませんでした。
あるテレビ番組のトークで、どんなタレントになりたいかと聞かれたとき、「今までにないタイプになりたい」と答えました。生き馬の目を抜く芸能界でこういう考えを持つ19歳には、是非とも大成して欲しいものです。心意気に感じ入りました、応援します。
余談ですが、15歳以下で芸能界入りしてちやほやされる子達の情操教育を考えると、行く末を危惧せずにいられません。

吉本多香美
ウルトラマンの娘。ちょっと怒った表情が映えます。

和久井映見
ビールのCMをうまく演じていました。「夏子の酒」でも主演しました。図らずもお酒とイメージがだぶります。酌み交わしあえたら幸せな気分にひたれそう。

小泉今日子
何の気なしに借りたビデオ「怪盗ルビィ」で好演。いい話は女優を一段と引き立てますね。

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2000.10.24
子供の頃、小遣いをもらうとすぐにプラモデルにつぎ込んでいた時期があった。一番のお気に入りはサンダーバードシリーズで、他にも怪獣、ミリタリーものなどが好きだった。しかし、組立前に塗装して、完成後に陳列するような高尚な楽しみ方ではなく、組立そのものがまず楽しく、出来上がったものは遊び壊してしまい、残骸が段ボール箱に貯まっていった記憶がある。モーター動力のものは、半分ぐらいは完成しても動かなかった気もする。
やがて興味は別のものに移り、プラモデルとは無縁になったが、ネット仲間が「老後の楽しみにプラモデルを買いだめしている」という話を聞いたとき、なるほどそういう楽しみ方もあるのだと妙に感心したことがあった。テレビや雑誌でプロモデラーの仕事ぶりを見ると、確かに楽しそうに思えた。しかし実際に行動に移すまでには至らなかった。
ところが、我が電子工学の師さいとうさんが、やはり昔の血が騒いで、プラモ作りを再開した。私も興味がないわけではないので、連れられて模型屋に足を運んだところ、プラモデルの現状と充実ぶりに圧倒された。なにしろ大金をかけなくても楽しめるし、失敗したり飽きたりしても痛手は少ないので気楽に手を出せる。「昔こんなのがあった、今見つかったら欲しい」とさいとうさんに話したら、それを見つけてくれ私の手元にやって来た。
かくして私もプラモデルを趣味として再開することになった。ただいま未組立のストックが3個。今は専門誌で豊富な組み立て技術情報も手軽に入手できるのはありがたい。そしてMac.を使ってジオラマをCG処理で作ってみたいと思っている。

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2000.10.19
CyberでDigitalな(笑)今の世の中にあっても、私は紙に印刷されたものが好きである。平たく言うと本が好き、ということだが。文庫、雑誌でさえも財産だと思うのでなかなか捨てられない。小説は乱読。しかし、いわゆるビジネス書のベストセラーは一切読まない。内容の是非ではなく、ベストセラーになってしまった時点で情報としての新鮮さが無くなってしまって、独創的な発想の手助けになるとは思えないからである。それなら「三国志」を読んで自分なりに解釈して人の動かし方に生かした方がよっぽど有益だろう。
ところが私は遅読である。しかも家で読書時間などほとんど取れないので、もっぱら通勤電車の中と就寝前が貴重な読書時間となる。従って自ずと読む量も限られるが昨今本の価格は高いのでもっぱら古本屋で調達している。本は腐らないから、読みたいと思った本を見つけた時はなるべく買うようにしている。積ん読は得意である。
通勤電車の中は空間的制約があるのでもっぱら文庫、ハードカバーは就寝前という使い分けがある。また読んだ作品が面白かった場合、その作家の既刊の作品も読んでみたくなる。最近では「ジャック・ライアン」シリーズのトム・クランシー、「検屍官」シリーズのパトリシア・コーンウェルを経て「ダーク・ピット」シリーズのクライブ・カッスラーを電車の中で、就寝前は「リング」シリーズの鈴木光司を読んでいる。
シリーズを読むと決めたなら、古本屋で見かけたら先に確保しておくのだが、シリーズの全タイトルを把握していないので、安く買えたと喜んで帰ったら、既に確保済だったなんてこともあり、これでは安く買った意味が薄れてしまう。
有名な作品はしばしば映画化されるが、私は原作を尊重したいので、なるべく「読んでから見る」ことにしている。それでは見る前からストーリーも結末もわかってしまうではないか、というもっともな指摘もあろうが、視覚という直感的な印象で焼き付けられた先入観を以て原作に触れるよりはいいと私は思っている。

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2000.10.18
家でうまみ調味料を使わなくなって10年以上になる。きっかけは料理漫画という安易なものだったが、今では使わなくても全く不自由しない。子供の頃は目玉焼きにもかけた記憶があるが、逆に今はうまみ調味料の味にやや敏感にさえなってしまった。
とはいえ、市販品や外食でうまみ調味料を使っているものを拒否するつもりは毛頭ない。頻繁に食べたら飽きるのかも知れないが、うまみ調味料を大量に使うといわれている炒飯の味も好きである。うまく表現できないのだが、ある程度確立された味とでもいおうか、そういう決まった味はこれまでの生活体験もあってそのまま受け入れるわけである。
また、最初の言と矛盾するようだが、インスタント食品、特に袋麺カップ麺の類はむしろその味のバリエーションを楽しんでいる。これも子供の頃の体験で、当時インスタント食品の草創期であったが、親があまり食べさせてくれず(それ自体は感謝しているが)、次々出る新製品を食べてみたくて仕方がなかったからかも知れない。
で、何故このようなことを書いてみたかというと、「そばめし」がとても美味かったからである。ソース焼きそばに米飯を入れて焼き飯風に仕上げたもので、そばは短く切れているのであるが、お好み焼きに通じる味で、ビールのつまみにもなる。我が家ではこれに目玉焼きをのせたり、オムライス風にしてお好みソースをかけたりというバリエーションを実験予定である。ニチロから出ている冷凍食品なのでお試しあれ。
大阪では「酒の肴」「酒のつまみ」といわず「酒のあて」と言うそうだ。なんとなく趣深い。

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2000.10.15
時機を逸していますが、原稿を発見したので掲載します。

総選挙である。我が国の今後を左右する、最重要イベントである...のはずである。毎度のことながらしらける。わくわくしたのは細川政権が誕生した時だけだ。別に細川支持だったのではなく、いつもと違う結果だったから、だけなのだが。
参政権は国民に保証されている権利だ。しかし投票率は毎度50%前後。その結果が次の選挙まで継続される。ほんとうにそれでいいのか?、と思うのだが。
「あなたの一票が政治を作る」ってのは嘘ではないと思う。しかし真実は「投票しなかった人々の数千万票が政治を左右したかも知れない」ではないか。
そこでである。投票所入場券は投票所で回収して投票者名簿と突合しているのだから、投票しなかった人も把握できるはずだ。ならばその後三ヶ月か半年かかけて、未投票者を追跡して聞き取り投票を実施してみたらどうだろう。莫大なコストはかかると思うが、今の行政、ちょっと節約すればそれぐらいすぐひねり出せると思うのである。
そうとわかれば誰も投票所に行かないって意見もあろう。然からば投票所での投票は1.5倍の価値にするとか、在宅投票システムを確立するとか、また方策を考えればよい。とどのつまり、いかにして民意全体を投票に反映させるかという努力を惜しむな、ということを言いたいのだ。
もちろん有権者が何はさておき投票所に足を運ぶのがあるべき姿なのはわかっているが、「権利は保証します。手段も整えました。あとは投票者のお好きなように。」って選挙制度は、自己責任の欠如した日本人には有効な制度ではないと思う。
まーどんなに仕組みを考えても、必ず抜け道があって不正があるんだろうけれど。あぁ情けない。

警察の不祥事がニュースを賑わしている。そこへ持ってきて発砲でもしようものならまた大騒ぎである。不祥事はともかく、発砲が何故そんなに問題になる?。もちろんめったやたらと発砲されたらたまらないが。
警官の銃は身分証明ではないだろう。是非はともかく、銃ってのは撃つものだろう。撃ってはならないものを持たせているのか。だとすればこれ以上の無駄はない。すぐに持たせるのをやめなさい。

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2000.10.9
帯状疱疹という病気をご存じだろうか。
私は昨今の人間はなんてひ弱になったのだろうと思っていた。やれ紫外線情報だのUVカット商品だのと言っているが、昔はそんなものなくても何ともなかったではないか、と。子供の頃は帽子もかぶらず遊び回って日焼けの黒さを競い、学校の教室にも冷房なんてものはなかった。
どうやらこの認識は間違っていたようだ。今、学校では紫外線を避けるため、午後は室内で遊ぶよう指導さえするという。年を追うごとに豪雨、雷雨が増えている気がする。どうやらオゾン層破壊と地球温暖化は間違いなく進行していると認識しなければならないようだ。
それに拍車をかけるように、都市部の熱源は増加の一途をたどっている。ビルの谷間にあっては、天気予報が告げる最高気温などとうてい信じられないぐらいの熱気が溢れている。
そんな今年の夏、南紀白浜に遊びに行った。何年ぶりかの海水浴であり、過去の経験もあるので、念入りに全身に日焼け止めを塗った...つもりであった。しかしそれは徒労に終わった。一日目にして全身真っ赤になり、二日目には温泉にもつかれないほどになった。ヒ○ピ○クー○だのアロエジェルだのを全身に塗りたくり火照りを抑えたが、一週間後には脱皮が始まった。
脱皮が治まった頃、左胸に発疹が現れた。そのうち消えるだろうと気にとめなかったのだが、一週間経っても消えず、時折痛みもあるので観念して近所の皮膚科医に行った。診断は「帯状疱疹」であった。子供の頃かかった水疱瘡のウィルスは脊椎の神経の根元に潜んでおり、体の抵抗力が弱まると発症する、いわば水疱瘡の再発なのだそうだ。飲み薬を処方されたが、本来点滴にする薬だとかで、一日5回も飲むうえすこぶる高いのが泣きっ面に蜂。
「性病ではありません、重い病気です、仕事を休んで安静にしていなさい」とありがたいお言葉を頂戴したので、数日仕事を休むことにし、大手を振って家で安息の日々をを過ごすこととなった。
数日後、再度医師の診断を受けに行く日が来た。楽をして自転車で行くことにした。壱号車ままちゃりGTは配偶者が使用中だったので、最近導入された弐号車折りたたみDeluxeを使った。この折りたたみDeluxeはバーゲン品だったのだが、導入以来乗ったのは初めてである。走り出すとシートの座り心地が悪い。空走するとすぐ減速する。結果的にしゃかりきで漕がないと前に進まないのであった。
「全然安静になってないぢゃないか」

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2000.5.15
ゴールデンウィークに、バスジャックなどという悲劇が起ころうとは。犠牲になられた方のご冥福をお祈りし、被害に遭われた方にはお見舞い申し上げる次第である。
さて、その被害車両を実況中継しているのである。もちろんニュース性は認める、被害者の関係者で駆けつけられない方には唯一の情報源である。しかしだ、やり方ってもんがあるだろう。何故現場の状況を把握もしようがないP.A.の職員を電話に呼びだして、その声を電波に乗せる必要があるのだ。民放ならいいというわけではないが、天下の公共放送からしてこれである。だいたいマスコミというのは報道を大いに勘違いしている気がしてならない。「知る権利」「報道の自由」という言葉の意味を認識しているとはとても思えない。親族を失った家族のわかりきった気持ちを、どうして口に出させる必要があるのか。原因究明の取材といって、それが再発の防止に一役買っているといえるのか。ただただ、「おもしろおかしければ、それでいい」という考えが滲み出ているではないか。
もうテレビで、いや新聞さえも、マスコミがやることは全てやらせである、と考えざるを得ないほど私は信用できないのである。真摯な姿勢で報道に携わっている方々には申し訳ないが、現実の放送からはそう感じ取るしかない。

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2000.4.15
TV番組で仕入れたネタなのだが、総資産を現在の貨幣価値に換算した大富豪5傑は
5.金融王 メロン
4.鉄鋼王 カーネギー
3.自動車王 フォード
2.OS王(?) ゲイツ
1.石油王 ロックフェラー
ということになるらしい。共通項は「先見の明」と「独占」であることは一目瞭然である。トップが「石油」であるのが印象的だ。全ての産業の原点ってことだ。日本の大金持ちとは所詮桁が違う。国土が狭いと持てる資産にも限界があるってことだろうか。

金額も大きく違うが、個人的に大きく違うと感じるのは、これらの大富豪は必ずと言っていいほど寄付行為をしていることだ。宗教的要因なのか、自己責任が徹底しているゆえなのか、彼らに限らず巨額寄付行為はドラマの中でさえごく普通のことのように描かれている。その成果は後世の社会資本の礎として機能しているようだ。

翻って日本は如何。スポーツ選手が賞金を施設に寄付、などというのはさておき、有力地主が寺社に寄進するというのは、結局御利益であれ何であれ、自分への見返りを期待してなされているという気がする。政治献金に通じるものが感じられる。そりゃあ寄付行為だって後世に名声を残す目的もあるかも知れないが、これは直接的な見返りとは違うだろう。

一方日本では、自己責任は希薄だが「助け合い」の精神が定着しており、寄附によって支えられる行為が補完されているとも言えよう。

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2000.3.4
予約サイトがダウンした翌日に、あっさり予約できたPlayStation2が届きました。プレステソフト互換なので、ゲームができるDVDプレーヤーと思って購入に踏み切りました。今日のニュースでは行列して入手した人々が映っていましたが、ゲーム人口とネット人口の乖離を感じさせます。
届いたプレステ2は、スタンドがなくても縦置きでき、ブラック仕上げのマンハッタンシェイプがイケてます。トレイのPSマークが回転するあたりは芸が細かいですが、SONYのロゴを見る限りは縦置きを基本に想定しているのではないかと。
プレステ2のソフトを買っていないので(笑)、当面はDVDプレーヤーとして確保しておいた「ER」を見るのが主目的ですが、操作は必然的にコントローラー経由なので、ワイヤレスリモコンの発売を切望します。これでDVDプレーヤー普及率が飛躍的に増加することを考えると画期的なハードウェアといえるでしょう。通信機能に関してはパソコンユーザーとしては醒めた目で見ておりますが。

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2000.3.1
常識ってなんぞや?、ってほどのことでもないのだが、世の中、当たり前のことが当たり前でなくなっている。

温泉旅館で宴会やって、賭け麻雀やったっていいだろう。賭を奨励しているわけではないが、それで身を持ち崩さない限りは、迷惑をかけない限りは、自己の責任においてやるのは勝手である。た・だ・し!、時と場合をわきまえろ、ってことだろう。「図書券を賭けて麻雀やる」人にお目にかかりたいものである。

「接待=贈収賄=全面禁止」と何故ならないのか?。接待の方法、手段によって成り立つ商売があるから?。無駄な税金垂れ流すなら、その分その人達の再建資金に回すがよい。万博跡地を住宅にすることが許されないなら何故計画を変更しない?。飛び出した猫じゃあるまいし、軌道修正もできないのだろうか。そう簡単に割り切れるものでないというなら、そもそもそれが間違っている、ということを認識してもらいたいものである、そろそろ(遅すぎるぐらいだが)。

街角で「エビキャッチャー」なるものを目撃した。ぬいぐるみをつまみ上げる「UFOキャッチャー」のぬいぐるみを、生きた伊勢エビに置き換えたものである。水を張って酸素を供給し、市場の生け簀状態になっていて、聞くところによると餌も与えて管理は行き届いているそうである。が...。
釈然としないのである。こんなことが許されていいのか?、と思う。しかし理屈付けが出来ない。「生き物をおもちゃにしている」のがいけないなら「金魚すくい」も風情どころではない。「生き物で遊んで食べる」のがいけないなら、渓流の釣り堀でニジマスを釣って焼いて食べるのもけしからんということになる。「見せ物にしている」からなら、生け造りなど言語道断ではないか。では、目新しいから違和感があるだけで、そのうち慣れてなんとも思わなくなるのであろうか?。

思うに、この違和感は、今まで機械仕掛けで生命のないものを対象にしていた遊びに、生き物を流用したからではないかと思うのである。縁日で「金魚すくい」ならぬ「伊勢エビ釣り」が現れたら「ほう、豪勢なもんだ」で終わるような気がする。この流用は奇抜なだけで必然ではない。魚介類を捕る方法は釣りか漁か罠と太古の昔から決まっている。わざわざUFOの爪でつかむ必然はどこにもない。アイディアとはある意味奇抜さを競うものではあるが、必要のないものは結局無駄なのである。

NewYorkで車の通らない横断歩道を赤信号で渡らない人はいない。自己の責任において安全を確認して渡るのだ。日本人にもっとも欠落しているもの、それは「自己責任」である。最近の車はカーナビだのエアバッグだの豪華装備を謳う割には灰皿を装備しない車が多いのではないかとさえ思う。窓からたばこを投げ捨てる車のなんと多いことか。 「助けあい」「思いやり」と「自己中心」「自分勝手」を混同している輩が多すぎる。

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1999.9.30
唐突にツーレポです。

前日の予報は微妙なものだったが、出発時間は雨。やむなく合羽を着込んで走り出す。相方との待ち合わせ場所であるS.A.まで約150km。淡々と走って約束の時間の約15分前には到着した。この頃には雨も上がり、合羽を脱いで乾かしていると約15分遅れで相方到着。道中で荷物を積み直したらしい。自慢じゃないが、この辺は経験だね。
さて、降りるI.C.まで約100kmを走りる。青空になり、風もなく気持ちよく走る。高速を降りるとフェリー乗り場まで約70kmの下道だが、いきなり国道が渋滞している。すり抜けもままならない。幹線国道なのに妙に赤信号が長く感じる。平日のせいかトラックも多く渋滞するのも無理はない。ぐっと我慢してようやく渋滞を抜け、海沿いのバイパスを流すと人車ともどもクールダウンできた。
水辺の道というと川沿い、渓谷沿いの道が好きなのだけれど、眼前に海が開ける瞬間は何度体験しても何故か感動するものだ。えてして宇宙開発は人間の夢的な言われ方をするけれど、陸と接している海に対してだって人間は無力なものだ。空と海というと正反対のもののようだけれど、観念的にはかなり共通するものがあると思っている。
バイパスを降りて再び国道へ。単調な道が延々と続く。そこそこのペースで走れるが、突如出現する赤信号にハードブレーキングを強いられる。心なしか信号が暗く感じ、見落としそうで心配だ。そろそろ休憩時かつ昼食時でもあるのだが、フェリーで小一時間ゆっくり休めるのでがんばって走ることにした。そう思うと、残りわずかがまた長く感じてしまう。
うまい具合に20分後に出航するフェリーがあったので、乗船手続きをしてデッキでくつろぐ。残念ながら食事を調達できなかったので、代わりに景色を楽しむ。相方は疲れか船が苦手か昼寝?状態だ。海上に出ると大型船さえも小さく感じ、人間の小ささなんて、海でも宇宙でも大同小異ではないかと改めて思う。
フェリーを降りると、今日の目的地のキャンプ場まであと約70km。適当なところで昼食にしようと思いつつ走るが、手頃な場所がないまま高速に乗る羽目になった。P.A.にはトイレしかない。空腹のせいでもなかろうが、インターを出る時エンストから立ちゴケしてしまった。フロントウインカーが破損したが、破片をビニールテープで貼り合わせれば何とか使用できたのは幸運だった。この時点で協議の結果、とっととキャンプ場に行って酒盛りしようということになる。
キャンプの時は買い出しのタイミングが難しい。どんな田舎にも食料品店をかねたような酒屋ぐらいはあるものだが、缶詰かレトルトしかないなんてこともある。かといってあまり手前で食材を調達するとよけいな荷物を背負って長距離を走らなければならないし、ビールもぬるくなる。今日は炭焼きの予定なので、そこそこの食材は確保しておきたいところだ。
国道は民家の間を縫うようなすれ違いもままならないところさえある三桁国道なので、早めの調達を決心して寄った商店には見事に生鮮品がない。やむなくさらに走ると道幅は再び広くなり、スーパーも発見。めでたく食材と酒を確保できた。後は給油してキャンプ場へ向かうだけ。
大排気量オンロード車の我々は、キャンプサイトへのアプローチを下見してから乗り入れるというトライアル競技並の慎重さを身につけている。幸い貸し切り状態なので、場所は選び放題である。地面は砂利で水はけは良さそうだし、炊事場には大きなひさしの下にテーブルと椅子がある。アプローチラインの容易なところに木陰で寝心地の良さそうなサイトがあったので、ビールの誘惑に負けずに設営を開始する。目の前に人参ならぬビールがあると気合いも入る。今回テント関係と小道具関係を分けてパッキングしてきたのも功を奏して素早くに設営は完了した。
待ちに待ったビールで乾杯、至福の一瞬である。炭火を熾しつつ呑み進める。炭火が十分熾ってからメインディッシュを焼くのは去年学習済みだ。ピーマンと椎茸を焼きつつ炭火が強くなるのを待つ。そこそこ火力が上がってきたので、醤油で味付けした生の焼き鳥(妙な表現ではある)を焼き始める。最近はキャンプをやってもついつい食事は手抜きになりがちなので、炭焼きはとても楽しみだ。自宅でも滅多にできることではないし。
ビールから酒に切り替える。今回仕入れた地酒は1升パックである。純米でなかったのは残念だが、地酒を飲むのも楽しみの一つだからこれはこれでよし。米が炊きあがったところで、メインのアイダホ牛ロースステーキ二人で三枚を焼く。お値打ち品だった上に結構柔らかくてうまいのはよいのだが、かなり満腹になってしまった。 あとは酒を飲みながら語り合うひと時である。先日一泊で明石を往復した経験から、来年は不惑記念四国三泊四日に決定。こういう時は仕事の話題など微塵もないのが精神衛生上非常によろしい。
明日の朝は早く出発しようと思っているので、10時頃寝ることにする。砂利は気にならないが、ちょうど腰のあたりが少し高く、痛くて仰向けに寝られないのは生来の腰の悪さか。2時間おきぐらいに目が覚めるのはキャンプの常だが、その内の一回は雨音によるものだった。

6時過ぎに起き出す。空は曇っているが雲の切れ目から青空ものぞいている。今回のハイライトである今日のスカイライン走行はひとえに天気にかかっているが、さてどうなることか。昨夜炊いた飯の残りで味噌汁雑炊を作り、食後はコーヒー。連泊なので撤収なし、荷物なしなのは気楽である。昨日砕けたウインカーを補強して出発した。
下道約300kmの行程だが、山間のルートなのでさほどペースはあがらないと読んでいた。キャンプ場から離れると天気は好転、青空で暑いぐらいだ。信号のないワインディングを快調なペースで流し、県道、国道と走りつなぐ。この辺りは読めない地名ばかりで方向感はなきに等しいが、県道番号表示が徹底しているので、道に迷う心配が少ない。路面もさほど荒れていないのですこぶる気持ちよく走れるのが嬉しい。
ところが市街地に近づくと状況は一変して流れが滞る。仕方ないとはいえ今までとの落差が大きいうえ、暑いし水温も油音もあがるしでなんとも我慢ならない。地図をみると国道と平行した県道があるのでそちらに迂回することにした。道幅はすれ違いも大変なほど細いところがあるものの、やはり流れがある方が気分的に楽である。
2時間走ったので、酒屋の店頭で休憩と水分補給。当然ノンアルコールである。目的地のスカイラインまで残り1/3の辺りだが、同じ道を引き返すことを考え、12時に行けるところまでで引き返すことにする。アプローチルートは二通りあるのだが、地図に太く表示してあるルートを選択。去年の林道のような県道に懲りているからだ。
門前町を抜けてスカイライン入り口に到達。通行料金は結構高い。しかし、走り出してみると路面のきれいな中高速コーナーの連続で、料金には納得した。土曜なので頭をふさがれるかと懸念していたが、杞憂に終わる。適度なアップダウンと、遙かな山並みに飽きることもなく距離を重ねるうちに、定刻の12時になるとともに料金区間の終点のレストハウスに到着した。標高は約1,000mで風が心地よい。
昨日の昼食抜きが身にしみたのでここで昼食にする。頼んだ「たぬきそば」は普段の「きつねそば」である。こんなことなら「きつねうどん」にすればよかった。無意識にそばを頼んでしまう性。
来た道を戻るとまた市街地渋滞にかかるおそれがあるので、県道を走りつなぐルートに変更した。道路標識がしっかりしているからできる技である。たまに前を大型車にふさがれるが、ちょっと辛抱するとその車の作業地につくので、見通しの悪い狭路で無理に追い越したりしなくても済んだ。
約2時間走って給油後酒屋の前で休憩タイム。相方は宿酔とのことでへばり気味である。もう少し走って、行きに見つけた温泉で二日ぶりの風呂を楽しむ。最近はあちこちに銭湯感覚の温泉ができているので、ツーリングには誠にありがたい。ビールの誘惑をぐっとこらえて、キャンプ場へ残り20kmの道のりを走る。すると、朝と同様キャンプ場の辺りだけ雲が低い。スモークシールドのせいでなかなか気づかなかったのだが、いつのまにか路面が濡れ小雨が降り出した。しかしカウルの恩恵で走ってさえいればさほど濡れずに済むので、合羽を着ることもなく走り続ける。時間的にはほぼ予定通りである。キャンプ場手前で冷えたビールを仕入れ、テントに辿り着くとほぼ同時に雨足は強くなり始めた。
炊事場の軒先で濡れずに食事ができるから気楽なものだが、やはりこういう時はタープが欲しいものだ。サイドフライもないのでそろそろ調達を考えよう。今日の食事はレトルトや缶詰のお手軽手抜きメニューである。酒さえあれば後は適当で済ませられるのは強みかもしれないが、酒がないと悲惨でもある。
雨足は弱まるどころかかなりの勢いになってきた。とその時、キャンプ場にヘッドライトが入ってくる。オフ車2台とトランポ一台がバンガローに泊まるらしい。さすがトランポ付は荷物の心配がないので、食事は豪勢らしく、おすそ分けまでいただいてしまった。今日もステーキにありつけるとは思わなかった。
いっこうに衰えない雨に観念して寝ることにしたが、テント内の湿っぽさは如何ともしがたい。テントを打つ雨音を聞きつつ眠りに入る。

朝方ようやく雨足は弱くなってきたが、相変わらず雲は低い。またも宿酔の相方はいつになく行動が早いが、マイペースでコーヒーと蟹玉雑炊の朝食をとる。雨の撤収は何度やってもいやなものだが、後は帰るだけと思うと幾分気が楽になる。酒が少々余ったので、せっかくの地酒だから空きペットボトルに移しておみやげにすることにした。予定より約30分早く出発する頃には雨が上がっていたので、合羽は着なかったのだが、少し走るとまた雨が降り出したかと思えば日が射すなど不安定な天気。結局合羽を着ないまま約70kmを走ってフェリー乗り場に到着した。早めの出発とペースよく来たのが奏功して、これまた予定より一本早いフェリーに間に合った。
出航前に土産を買い、港を後にすると、行く手は好天、港一帯だけが曇という状況だった。結果的に今回のツーリングは天候には恵まれたと思う。フェリーを降りて高速までの下道70kmも、一度走ったルートのせいか往路ほど長くは感じなかった。高速に乗る前に昼食をとることにし、初日昼食抜きだった埋め合わせにちょいと奮発して鰻を食べることにした。二人して貪るように食べ終わってから、山椒をかけるのを忘れたことに気づく。
高速も日曜なのにすこぶる流れがよく、途中給油しただけで待ち合わせをしたS.A.へ。ここで相方と別れ、その後も渋滞知らずで明るいうちに家に到着した。パッキングを解いて濡れたものを干し、シャワーを浴びて呑むビールのうまさはやはり格別である。

さて、私はどこに行ったのでしょうか?。

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1999.2.7
若かりし頃(笑)、ツーリングに燃えていたのでその思い出を記録したくてカメラを使い始めました。当時としては標準であったマニュアルフォーカスのNikon FE2をそれ以来愛用しています。露出計内蔵なのでそれなりに電子部品が使われているはずですが、首にぶら下げて霧の中をバイクで走りびっしり露がついても壊れないタフネスで故障知らずです。
35〜105のズーム一本で通してきましたが構図が欲張りな私はさらに広角よりのレンズが欲しいと思い始めました。が、そのうちツーリングに一眼レフはかさばるので持ち歩くのが億劫になり、現像焼付の費用も気になりだし、さらにデジカメの手軽さに安易に染まってしまい、レンズに投資する踏ん切りがつかなくなってしまいました。
しかし、FE2への愛がさめたわけではなく、Macで身についた中古頼みで、安いのがあったら手に入れるつもりではいました。すでに時代はオートフォーカスに移行しており、マニュアルフォーカスレンズで理想のズームはなかなかみつかりません。おりしも中古20%オフセールで安いAF24〜50を見つけたので、操作性には目をつぶることにして手に入れました。
不思議なものでAFレンズを手に入れたらAFボディも欲しくなるのはやはり性でしょうか(私の場合は当然ともいえるか)。程なくこれも中古セールで安くF801を手に入れました。正直なところマニュアルフォーカスではピンぼけが少なからずあったので(レンズが暗いせいもありますが)、フォーカシングが遅いと言われるF801でも私には十分なスペックであります。ほぼ時期を同じくしてフラットベッドスキャナーを手に入れたので、デジカメより解像度の高い画像取り込みが可能になりました。これで再び一眼レフ遊びも再燃しそうな雰囲気です。薄型の冷極陰管ビューワーを発見したので、そのうち入手して透過原稿ユニットもどきの使い方を試してみるつもりです。やはり行き着くところはフィルムスキャナーか?(笑)。
と、ここまでで終わるつもりだったのですが、またまた中古セールに赴き、かねてから目をつけていたAF70〜210フィルター付きを見に行ったら既に売れており、そのかわりAi28〜50を発見してしまいました。最初にこいつに出会っていれば、未だにAF知らずだったかもしれませんが、もう後の祭り。予算オーバーだったのですが、中古は一期一会なので入手しました。その前日にはジャンクカメラ市で\500のコンパクトカメラを2台買ったのですが、これも電池を入れたら動いてしまったので、新たな楽しみを発見してしまったようです(笑)。

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1997.10.28
Mac.だのなんだのに散財するおかげで慢性金欠症なので、滅多に外食をしなくなりました。ただでさえ貧乏なのに加えて、私も配偶者もそこそこ酒を飲むため、勘定は食事の1.5倍が必要になるのも痛い要因です。
しかし、あまりしみったれた気持ちでばかりいても精神衛生上悪いので(笑)、たまには一念発起して外食に出かけます。高級店はもちろん対象外だし、酒は必須なので車では行けないし、電車も帰りが面倒くさいので、専ら近所のおいしい店探しです。その中のいくつかをご紹介します。店の場所を詳しく知りたい方はお問い合せ下さい

・IL MARRE BLU
「イル・マーレ・ブル」と読みます。スペルはあてずっぽうです(笑)。イタリア語で「青い海」という意味です。もちろんイタリア料理店です。こじんまりした店ですが、黒板に書いてある本日のおすすめはどれも食欲をそそります。値段も良心的?というか手の届く範囲で、しかも割高感はありません。
私はこの店をとても気に入っているのですが、悲しいかな、そう頻繁にはいけません。そして心配しています、お店にはよけいなお世話でしょうが、この店が無くなることを。立地が2駅のほぼ中間で、あまり目立つ場所でもなく、私の知る限りではいつも空いているのです(はっきりいうとガラガラ)。適当に繁盛して今のままで存続して欲しいものです(勝手な言いぐさだ)。そう、TV番組「料理バンザイ!」の「たまに行くならこんな店」にぴったりの店なのですが、番組に紹介されると気軽にいけなくなりそうなので複雑な気持ちです。

・三戸屋
「みとや」です。ラーメン屋です。メニューはラーメン、チャーシューメン、油そばと餃子程度のカウンターだけの店です。
そもそもラーメンにはいろいろなタイプがあり、通と呼ばれる方も星の数。麺類の好きな私は通なんてとても名乗れませんが、こだわりはあります。ラーメンに関しては三田の「ラーメン二郎」を最高とします。反論は受け付けません(爆笑)。
従って太い縮れ麺にこってり醤油味スープが好みなのですが、「二郎」にこだわるとたいていのラーメン屋では物足りなさを感じます。そんな中、近所のラーメン屋ではここはおいしいと思いました。

・千寿司
「せんずし」、チェーン店です。でも、カウンターでお好みで握ってもらえる店です。メニューに値段が明記してある安心明朗会計の店です。昨今はおいしい回転寿司の店も増えたそうで、それはそれで興味があるのですが、「2回の回転寿司より1回千寿司」と思ってしまいます。近所ではないのですが、御徒町に何件かある「かっぱ寿司」も同様の店です。深川にもいい店があったっけなぁ。ちょっとリッチな気分で行く時は六本木の「寿司寿(すしとし)」へ。

・羅生門
焼き肉店です。特別な店ではないですが炭火焼きなのでおいしいです。あと、韓国風煮込みがあるので、モツ好きの私には嬉しいです。ブームに終わってしまったモツ鍋の店の激減はとても悲しいです。さらにO157騒ぎで生モツの入手も困難を究め、自宅でも滅多にモツ鍋を楽しめなくなってしまいました(涙)。

・小諸そば
あの、立ち食いそばの店です。家の近所にはありませんが、是非書いておきたい!。というのもそこいらのそば屋よりはよっぽどおいしいのです。茹で麺を暖めなおすのではなく、生麺の茹でたてが出ます。それゆえ、ちょっと待たされるような時が一番おいしいのです。もちろん立ち食い価格です。惜しむらくは、店舗によっては茹で置きが多くて、コシのないそばを出されること。そんなときは心底がっかりします。

なんかとってもチープな紹介だなぁ(笑)。

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1997.10.22
吾輩はサラリーマンである。名は既にある。どこでどうして決まったものやら、毎日々々混んだ電車で揺られて通勤を繰り返さなければならぬ。地下鉄に乗るのだが、こいつは地下鉄のくせに地上も走る。地上に出ると、必ず車掌がアナウンスする。「携帯電話の利用は他の客の迷惑になるのでやめろ」と。
どうもこの世の中、急速に普及した割には携帯電話は肩身が狭いようである。所構わず鳴る呼び出し音は、人間の動悸のリズムと同じらしく不快を感じるものらしい。所詮無線機なので、音量が不安定になるため、勢いこちらの声も大きくなる。独り言を聞かされるようで不気味だ、と。
別に吾輩も携帯電話を所有しているから言うわけではないが、要は使い手の気配りが重要なだけであって、使用を禁止される謂れはない。TPOをわきまえ、電車の中ではかけ直すと言ってすぐ切ればよいではないか。会話はよくて、独り言だといけないのか。聞いてくれと喋っているわけでもあるまいに、大きなお世話である。車を運転中に操作するのが危険なのであって、電話で会話が危ないなら、同乗者との会話も危ないのか。そんなはずはあるまい。
だいたい通勤時の混んだ電車の社内には、もっと迷惑な輩がいっぱいいるではないか。「大股広げて座ることは禁止、子供は騒がないようにしつけろ、抱いた子供の靴は必ず脱がせろ、背負ったバッグ類は手に持ち代えろ、吊革につかまる者は数cmでも椅子よりに立て、乗ったら入口付近に溜まらず少しでも奥へ行け、降りるときは一声かけろ、電車の揺れにまかせてフラフラしないで筋肉を使って立て、立ち方を考えて無駄な空間をあけるな、大荷物があるなら時間をずらせ」ぐらいのアナウンスをして欲しいものである。「他の客の迷惑」になることは携帯電話だけではない。
もっとも、気配りの足りない輩が多いから「携帯禁止」と言わざるを得ないというのは十分わかるのが、そもそも嘆かわしい。

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1997.10.1
唐突にエヴァンゲリオンの話をしましょう。エヴァという名前はなんとなく聞いていましたが、認識した時は既に本放送も終わり、レンタルビデオは常に貸出中、最初の四夜連続一挙放送も見事に見逃しました。仕方がないので、とりあえず「シト新生」を見に行ったところ、さっぱりわけが分からず、しかも盛り上がったところで続いていまいました。すっきりしないことこの上なく、解説本を2冊ほど読んでお茶を濁したところで、TV版のビデオを見ることが出来ました。世間では謎が謎を呼ぶ、と評されていますが、予備知識があったことに加え、私はあまり細かい設定にこだわらずに楽しむことが出来るたちなので(笑)、割と抵抗無く受け入れることが出来ました。最後の2話以外は(爆笑)。
「Air/まごころを君に」で全てが解明される、との建て前だったので、早く見たかったのですが、行列と立ち見はごめんだったので、封切り1ヶ月後にゆったり見ました。が...やっぱり裏切られましたねー(笑)。私はアニメに哲学は求めない主義なので、すっきりと終わらせて欲しい。と言うわけで、以下は「Air」の続き、勝手にリメイク版「まごころを君に」です。但し、人類補完計画のなんたるかや使徒の正体についてはやっぱり謎のままです(爆笑)。

羽根を得た初号機に乗ったシンジが見たのは、エヴァシリーズに食い荒らされ た弐号機であった。シンジの絶叫。蘇ったエヴァシリーズは初号機を取り囲む。 「生命の樹」が大空に展開する。
NERV本部ではMAGIが暴走を始める。カスパーの裏切りとリツコの仕組んだプロ グラムが背反しているのだ。自律自爆装置作動。マヤが発狂、マコトとシゲル を射殺。
レイと共にアダムに同化しようとしたゲンドウは、逆にレイに取り込まれ、ア ダムと同化。アダムが蘇る。
エヴァシリーズが初号機に殺到する。初号機は為す術もない。弐号機と同じ運 命をたどるかと思われたその時、ユイの意識がシンジに語りかける。シンジと ユイが同化。一瞬にして消滅するエヴァシリーズ。そこに現れるアダム。
ゲンドウ、レイ、シンジ、ユイの意識の反発と錯綜。まさに一触即発となった その時、初号機の拘束具が吹っ飛ぶ。初号機の手に、アダムの手にロンギヌス の槍が。凄惨な戦い。
NERV基地爆発。冬月の叫び「神とは一体何なのだ?」。
「やめてぇっ!、もうたくさんっ!」瀕死のアスカが絶叫して力尽きる。相討 ちの初号機とアダム。射出されるエントリープラグ。外れた扉から飛び散るL CLは赤い。シンジの姿は無し。
語り合うシンジとカヲルのイメージ。
(エンディングテーマはやっぱり「魂のルフラン」)

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1997.9.29
下で医者になりたいと書いておきながらなんですが、ミュージシャンになりたかった話です(笑)。年が知れますが(^_^;、井上陽水に感化されてフォークギターを始め、Beatlesに出会って(もちろん既に解散してました)ロックに目覚め、Paul McCartneyの才能を崇拝してバンドやるならベースと決心し、Deep Purple(第2期)を聞いて自分が演るのはハードロック(私にはヘヴィメタよりこっちの方がしっくりきます(^_^;)しかないと思ったのは中学生の頃でした。
高校に入って最初の夏休みにバイトして貯めた金で念願のベースを手に入れました。将来役に立つはずと、選択科目も音楽にしました。しかし、ロックでベースを演るにはバンドを組まないと限界があるのですね。一応友人とバンドは組みましたが、彼らは私ほどは熱中しなかったし、そのせいでもありませんが私も不完全燃焼のまま大学までほどほどのバンド活動で終わってしまいました。
今でこそDTMが身近になり、私もそのうち(っていつだ?(^_^;)挑戦してみるつもりですが、Rolandからジョグシャトルの付いた打ち込みマシンが発売された時、これこそ神が私に作り賜うものだと感涙にむせびました(笑)。これならメンバーが揃わなくとも、全パートを自分で演じてRockが出来るでないかと。そのころ私はすぐマンネリ化するとはわかっていても、ダンスビートが好きで、流行り歌をダンサブルに アレンジする構想を持っていました。もちろん自分で曲を書くことも考えていました。ボーカルを発掘して、プロデュースする構想もありました...全部小室哲哉に先を越されてしまいました(爆笑)。もちろん、当時私に打ち込みマシンを買える財力などありませんでした。もし、私があの時、あのマシンを手に入れていたら、今頃細野晴臣の代わりに私が森高千里とローソンのCMを地でやっていたかも知れません<こんなヤツ相手にしないように(^_^;。

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1997.9.26(〜29)
子供の頃は、将来はパイロットになりたい、なんてよくある希望を持っていましたが、目が悪くなって不可能になりました。よりによって大学受験の頃に夏目漱石に夢中になって「高等遊民」に憧れたため(笑)、理系の道を捨て(一応可能性はあったのですが)消去法で学部を決めるという愚行にでました。
まぁ、今更何を言っても始まらないのですが、出てありがたみがわかった大学というか、現在の大学の実体には疑問もないではないですが、勉強できる環境はうらやましいと思うし、勉強しないとできない職業もあるので少々悔しく思っていることは確かです。最大の後悔は理系に進まなかったこと。理系は好不況の波があると言われた時代でしたが、やはり技術を持っているということは自信につながると思うわけです。漱石にかぶれる直前までは電子工学を目指すつもりでいました。アマチュア無線の資格だけは持っていたことと、当時ロックに夢中でベースを弾いていたのですが、好きなグループだったクイーンのベーシストが電子工学の博士号持っていたことが動機です(ミーハーだ)。
ロックの話が出たついでに言うと、もちろんミュージシャンになりたいという夢もありましたが、芸術家というのは簡単にはなれないという妙に冷めた考えを持っていて、副業的にやって売れたら本業に、などと都合のいいことを考えていました。小椋 圭という実例もあったことだし。
私は性格的には芸術家タイプだと思いますが、芸大、美大のたぐいは進学したくとも一介のサラリーマンの長男にはなかなか現実には難しいものです。ところが難しさのもう一方の極致、医学部に対して、大学卒業間際に突然憧れました。単位にもならない趣味の履修で、法医学を選択し、司法解剖を見学しても冷静な自分を発見し、「完全犯罪など不可能」と思わせる法医学の奥深さに感動したのです。今は「ER 緊急救命室」はお気に入りのドラマで、将来医学部の選抜試験を面接だけにする制度が導入されたら挑戦してみたいです。いったいその時何歳で、どうやって生活するつもりだ?(笑)。

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